それを見て思いました。
あんなに美しく芳しいのに、誰にも見てもらえないなんて、かわいそうにと。
でも、それは、とても驕り高ぶった考え方だと反省しました。
藤の花だけではなく、どの花も、誰かに褒められたり認められたり愛でてもらうために咲いているのではありません。
自分が咲きたいから、ただ花を咲かせているのです。
種を残していくためのとても当たり前のことですが、それでも、花に意志があるのならそう考えることもあるのではないかと勝手に思っています。
「私は花を咲かせたいの。誰が見ていても、いなくても、そんなことは関係ない。だって、私が咲きたいのだから。」
なんて、ね。
わたしたちは、誰かに褒められたり認められたりしたら、とても嬉しいものです。
だけど、そういう反応が無いこともあります。
もしかすると反応のないことの方が多いのではないでしょうか。
一生懸命にやってみた。
努力してみた。
がんばってきた。
誰にも何にも評価されることもない。
反応ひとつないのなら、
いっそ、けなされたっていい。
それだって1つの反応だから。
などとも思ってしまうことだってある。
誰かの反応を期待することは悪いことではありません。
でも、誰かの反応が主になったら、自分の軸がぶれていきます。
自分は◯◯がやってみたいのに、誰からも評価されないなら、やらないほうがいいか。やめちゃおうと、なっていくことは、果たしてしあわせでしょうか。
「主体的に生きることを大事にする」とこのブログやSNSの呟きなどで、繰り返し書いてきています。
野に咲く花のように潔く、「私は自分の花を咲かせたい。だって、私が咲きたいのだから」と生きてみるのも、きっと素晴らしいものです。
今日もまたお読みくださいまして、
ありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。




