今日のメッセージ
動物にも人にも、
1つの定義では推し量れないほど、
いろいろな面があります。
何か不幸な出来事に遭っていても、
ただ可哀想な動物や人としてだけ、
存在しているわけではないのです。
それは1つの面であり、
その方の全部ではありません。
誰かを愛し、誰かに愛され、
大切に思い思われ、
地上に光をもたらす存在かもしれません。
不運な体験をしている方に、
否定的な面だけを貼り付けることなく、
あなたの持つ豊かな想像を巡らせて、
善きものを見つけだしてください。
それは祝福となるでしょう。
この世界にはたくさんの不幸せな出来事も悲惨な出来事もあります。「かわいそうに」と思うことも山ほどあります。1つの定義では推し量れないほど、
いろいろな面があります。
何か不幸な出来事に遭っていても、
ただ可哀想な動物や人としてだけ、
存在しているわけではないのです。
それは1つの面であり、
その方の全部ではありません。
誰かを愛し、誰かに愛され、
大切に思い思われ、
地上に光をもたらす存在かもしれません。
不運な体験をしている方に、
否定的な面だけを貼り付けることなく、
あなたの持つ豊かな想像を巡らせて、
善きものを見つけだしてください。
それは祝福となるでしょう。
だけど、それだけがその方々(←動物も人も)の全てではないのです。
ご自分に置き換えて考えてみてください。
あなたが悲惨な目に遭っているとします。それも連続で。「お可哀想に」と周りから何度も言われることもあるでしょう。自分でもそう思うことも数知れずかもしれません。
だけど、あなた自身は「ただ可哀想なだけの人」でしょうか?
「かわいそう」という一面があるのは確かでしょう。
でも、それだけであなた自身をとらえることはできないはずです。
あなたの持つ優しさやあたたかさや愛を好きな人や動物もいるでしょう。何かに夢中になることや、恋することもあるでしょう。勝ち気なところもあれば、気弱なところもあるかもしれません。喜びに泣くこともあれば、孤独に苛まれて忍び泣くこともあるでしょう。
ここで書ききれないほどのたくさんの面が、あなたにはあるのではないでしょうか。
それは、他の人も動物も同じです。人間だけではなく、動物にもたくさんの面があるのです。
「かわいそう」だけで表すことができないほど、いろいろな側面を誰もが持っているのです。
だから、悲劇的な体験をしている(あるいは、体験した)動物や人に出会った時に、たとえば「かわいそう」というような否定的な面だけを貼り付けてしまうよりも、あなたが持っている豊かな想像力や感性を働かせていってください。そして、その方のどこかにある「善きもの」を見つけ出してください。あなたにはその力があります。
これは、不幸な体験をしている方への祝福となります。
「かわいそう」だけを貼り付けてしまうことは、意図してなくても1つの呪いとなります。「かわいそう」の上書きに、あなたは参加しなくていいのです。
どうぞ「善きもの」を見つけ出してください。「こういうことがあるかもしれない」という想像でも構いません。それが祝福となり、否定的なものを薄めていくエネルギーとなるのです。
今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
『亡き方への祈り』にご参加くださった方、どうもありがとうございます。祈りは終わっておりますので、順次、ミニメッセージをお届けしていきますので、もう少しだけお待ちください。




