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出逢えたことの喜びを

2025/09/23

こちらでは、そろそろ桜の絨毯の頃となってきました。あなたの所はいかがでしょう。

昨年から今年にかけて家族の死が続いたので、ムテンのお散歩の時に桜を見ても、一緒に歩いたことを思い出して半泣きになりながら歩いてました。

後は、この1文をひたすら思い浮かべていました。
「あなたが——蜘蛛だったのですね」
(京極夏彦『絡新婦の理』から)
どうしても、愛する者(←人も動物も)が旅立っていくと、その悲しさはなかなか消え去るものではありませんね。悲しみの中を漂ってしまうことだってあります。時間が少しずつ心を癒していくのだけど、それでもつらい時期はあるでしょう。

そんなお心に届いていくといいなと思っていることがあります。

出逢いは奇跡です出逢えたことの喜びを抱いてほしいのです。深い悲しみの中であったとしても。

想像してみてください。

たとえば、「少しだけ」時間がずれていたなら、あなたとあなたの愛する方は出逢っていなかったかもしれません。

宇宙の長い時間軸から考えると、私たちの考える「少し」が、随分「大きい」場合もあるのです。1日2日という時間よりも、1世代や1世紀くらい変わることもあります。

また、「少しだけ」場所がずれていたなら。あなたとあなたの愛する方は、出逢えていなかったかもしれません。

出逢いは必然だったかもしれない。だけど、それを求めないという選択をすることだって出来るのです。

あらゆる要素が合わさって、出逢うことができたこと。巡り逢うことができたこと。それはやっぱり、奇跡と呼べるような喜びだ言えるでしょう。

そんな奇跡を手にしたのです。愛する方と出会ったことは。

永遠に生きるわけではないので、どちらかが先に逝ってしまうことは避けられないことです。それはとても苦しく悲しいものですが、出逢うことができたこと。時間の長短はあったとしても、ともに過ごす時間を持てたこと。愛しく掛けがえのない日々を体験したこと。

これらは、死別によって消え去っていくものではないのです。心の中に大切に存在しています。愛は無に帰するものではないのです。

いなくなってしまった悲しさの中、少しだけでも思い出してみてください。出逢えたことが、とてつもない喜びであったことを。亡くなった大切な方のことを書きましたが、これは、生きている方についてだって同じことです。

出逢いって、本当に素敵な喜びをもたらしてくれるものなのです。

どうぞ、お心に届いていきますように。

今日もまたお読みくださいまして、ありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。

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