お彼岸ですね。個人的に家族の死が続いていたこともあり、いろいろと思うことがあります。(と言っても落ち込んだりしているわけではありません)
このブログでも、あれこれと、「生きること」「死ぬこと」について、人の視点、動物の視点から書いてきています。
前にも書いたのですが、デンデの旅立ちの様子は、とても穏やかで安らかなものでした。こちらから彼方へ、自然に移っていく様子は、厳かなものであり、そして尊いものでした。
一方、カリンの旅立ちに関して、時折、どうしようもない感情に襲われることがあります。
腹痛だろうと思って気軽に病院に行ったら、即入院で、途中、危ない状態になりながら、少し持ち直し、そのたびに、家に連れ帰りたいと申し出るけれど、それも苦しいだけだと言われ、結局、病院での最期になって。
もっと強く、強引にでも、家に連れ帰ってやりたかった。どうして、そう言えなかったんだろうとか、もっと早く、手立てを打っていればとか、苦しませてしまったこととか。
そういう時間の中に、止まってしまうことがあります。
同じようなお気持ちになった方々、きっと、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。動物のこと、人のこと、限らずです。
そんな方々の参考に、少しでもなればいいなと思って、これを書いています。
自責、後悔、そんな時間の中で止まってしまう時、カリンが伝えてくれるのです。
わたしは、その時に生きていないから。その瞬間(苦しんでいる瞬間)にいないから。
だから、時を進めて。
いつまでも苦しい時間の中で、わたし(の残像)を閉じ込めていないで。そこにいないんだから。
さあ、時を動かして(今に戻って)。
確かに、苦しい瞬間、苦痛の時間は存在していたでしょう。それでも『今』は、その『同じ時』でもないし、その『瞬間』でもありません。すでに終わっている『過去の時間』です。
だけど、ついつい、動きの止まった過去の時間の中に、閉じ籠もって、動けなくなったりするのです。時間はたえず流れているのに。
愛する亡き方は、過去の時間の中では、思い出として残っています。でも、その世界で、生き続けているわけではないのです。
彼らもまた、生きている者たちと同様に、流れる時間の中を過ごしているのです。
だから、生きている私たちもまた、止まっている時間の中で暮らすのではなく、時を進めていきませんか。
何度も同じように過去の時間の中で、閉じ籠もってしまってもいいのです。また同じようにすればいいのです。
過去は終わっていて、苦痛の時間もすでに終わっていて、今はそうではなくて、だから、しっかり生きていこうと思う。
そういうことを繰り返していけばいいんです。
そういうことを繰り返していくうちに、心のどこかが整っていき、愛する方の場所も心に創られて、ともに生きていけるようになっていくのだから。
私もこういうのを繰り返しながら、日々、生きてます。
お互い、やっていきましょうね。
今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。




