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「旅立ち」の話 つづきのつづき

2025/09/23

先日から「旅立ち」「死」のこと、そして「生きる」ことを書いています。

「生きて」「生きろ」などという声が彼方から届けられることがあります。声と言うよりも想いです。とても強い想いです。

死ぬは生きる。生きるは死ぬ。死を真摯に考えることは、生を真摯に考えること。死の話を通じて「生きる」ことがさらに豊かになっていけばいいなと願っています。

では、先回からの続きです。あなたに質問です。
死はすべての終わりだと思われますか?
自分を残して旅立っていってしまった。
何もかも終わってしまったと思われますか?
死を迎えると、肉体の機能は停止します。体の死です。

通常、私たち人間は、触れ合ったり、言葉を交わしたり、見つめ合ったり、匂いを嗅ぐこともあります(動物ほどではありませんが)。

死んでしまうとこれが出来なくなってしまいます。だから、悲しい。とっても。もう二度と触ることも、会話をすることも、笑顔を見ることも何もかも出来なくなってしまうから。そこに、いないから。

でももしも生きていると同じ状態ならば、私たちは死に気づくことが出来るのでしょうか。いつまでもずっと同じなら、別れのつらさを本心から理解できるのでしょうか。死別の苦痛を知らずして引き裂かれるような痛みを理解できるのでしょうか。

では、死んでしまったなら、もう姿形も声も何もない状態なのか。体を失ったことで、もう何もない「終わり」の状態なのか。

次元の異なる世界に死んでから存在しているのかもしれません。分かりにくいことかと思います。ただ、「分かりにくい」と言うことがポイントだったりします。大半の生きてる者達には分からない世界。そういう世界があるかもしれないということ。

死んだらすべて無くなってしまうのではなく、次元の異なる世界へと移動していくということなのです。お引っ越しというほうが近いかな。

肉体は生きている時の入れ物なのでしょう。死ぬとそれを脱いで本質(魂)に戻るということでしょう。

話半分でお読みいただければそれで充分です。


今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。

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