今日は先回(「旅立ち」の話)の続きです。
先回の話の中で、大切な方、深く関わりのある方(動物も含みます)の死はその旅立ちまでの日々とともに縁ある者たちへのギフトなのではないかと書きました。
死がギフト?なんてことを言うんだと思われる方もいらっしゃるでしょう。それでいいんです。大丈夫です。あなたの感じ方も考え方もあなたのものです。私が言っていることをそっくりそのまま同意しなくてもいいんです。これはいつでも頭に入れておいてくださいね。
さて、話を戻します。私がギフトと書いている理由を書いていきます。
最愛の方の死は、心に大きな傷を与えることが多いでしょう。そこからなかなか立ち直れないこともあるでしょう。立ち直ったつもりでも、また悲しみの中に引き戻されてしまうこともあるでしょう。闘病期間のつらい姿に心かき乱されたこともあるでしょう。
死は生です。
「もうダメだ」という状態なのに、何度も必死で生きようとしている姿勢。
見ているしか出来なくてつらい体験だけど『生きる』ってことの凄さを、生への執着も含めて、見せつけてくれる最期の時。
あなたはどう生きる?
死への旅立ちまでの私を見て、どう思う?
何を感じる?
あなたは旅立っていった私から何を学んでいる?
これからどう生きていく?
どう生きていきたい?
命を懸けて問いかけ、伝えてくれたことに対して、真摯に臨んでいくのがその方への敬意や感謝を表すことになるのかもしれません。もちろん1つの形です。死への旅立ちまでの私を見て、どう思う?
何を感じる?
あなたは旅立っていった私から何を学んでいる?
これからどう生きていく?
どう生きていきたい?
これらは普通の問いかけではないのです。
自らの『生きる』『生き様』『死に様』を通じて問いかけてくれるものが、その方の最後の大切な教えとなっていくのではないかと私は思っています。
生きることは学びの連続だから。
大切な方の死を通じて、何を感じ、どんなことを考え、いかに生きていくのか。
真剣に向き合っていく、大事な大事なもの。あなたのこれからを形作っていく、核のようなものになっていくかもしれません。
簡単に見つけられないことも多いでしょう。簡単に見つけなくたっていいのです。なぜならその問いかけに対して思考している時、あなたは旅立った方と一緒にいるのだから。
彼らからの問いかけを考えている時、同時に、彼らのことを想い、魂の結びつきで繋がっているのだから。
あなたにとっての大事なことを考える素晴らしい機会。
それを命を持って提供してくれることは、ギフトって呼んでもいいんじゃないかと思うのです。
この話はもうちょっと続きます。死はすべての終わりではないことなど書いていこうと思っていますので、よろしかったらおつきあいくださいね。
今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。




