さ〜て、この女神さま、七福神の弁天さまと言うほうが馴染みがあるかもしれません。芸術や芸能、財宝、学問の神様として、お参りをなさった方もいらっしゃるでしょう。
ヒンドゥー教の水の女神「サラスヴァティ」が元々のお姿。インドを流れる大きな河の神様と言われています。そこから、流れるもの全般をサポートする神と伝えられてきました。流れるものとは、言葉、弁舌、知識、智慧、音楽などを指しています。
そう【言葉】の女神さまなのです。
私は乱暴な言葉がとても気になっています。乱暴な言葉遣いをする人たちと周りへの影響が気になるのです。
時折、スーパーで母親が子供に向かって、「てめえ、早くしろ」とか、「ばかやろう」とか、「おまえ、なにやってるんだ」などと言っているのを目にすることがあります。
悪ガキ(古い言い回しですね〜)に向かって、頭にきて怒鳴りつけるのならまだ分かるのだけれど、普通にしながら、息子にも娘にも、同じような乱暴な物言いで語っている姿に何とも言えない気持ちになることがあります。
一見、身ぎれいな格好をされているのに、口から出るのはお世辞にも綺麗だとは言えない言葉の数々。たまたま、虫の居所が悪くて、そういう乱暴な口を利いているのならいいのだけど。
そうじゃなくて、汚い言葉を毎日毎日、子供に吐き続けているのだとしたなら、その子供はどうなっちゃうのでしょう。その子供の魂は、言葉の中にある健全ではないエネルギーを、常時受け取り続けてどうなっちゃうのでしょう。
きっとね、個々にはそれぞれの事情があって、もう生活でいっぱいいっぱいで、子育てだってとっても大変で、そんな丁寧な言葉なんて話していられないし、余裕もないのかもしれない。
それでも、なんだかとってもやりきれないなって、そう感じているんです。
このブログを何度か読んで下さる方は、3月の美輪さま講演会のお話の記事も、目にしてくださっているかもしれません。
その中で載せたものを、もう一度こちらにも書きます。
人との関係は、言葉によって作られます。
カッとなることは誰にでもあります。
そのまま人にぶつけるのではなくて、
自分が信じている念仏でもお経でもでも、
なんでもいいので、
(南無妙法蓮華経などの簡単な言葉です)
少し唱えて、
それから人を叱ったりしましょう。
気持ちをそのままぶつけて怒るのではなく。
人と人との距離は、
丁寧な言葉で、
培われていきます。
親子間でも同じです。
丁寧語、謙譲語、尊敬語。
こういうものが廃れていってしまっている中、
『花子とアン』ではたくさん使われていて、
そういう言葉はどこで学べるんですかと、
聞かれました。
丁寧な言葉で親から対応されると、
子供は、
人格を認められ、
尊重されていると自覚するのです。
乱暴な言葉で親から対応されていったら、子供は、自分が大切な存在だって気づいていけるのでしょうか。
1人の人間として、大切で掛け替えのない存在だって信じられるのでしょうか。
たかが言葉です。
それでも、人間として大切に想われていると感じられない言葉の数々は、成長していく魂にどんな影響を及ぼしていくのでしょうか。
愛があればいいんです。乱暴な物の言い方であったとしても、その奥に愛があればそれでいいんです。
だけど、人が人に対して使う言い方ではなくて、愛よりもイライラや憤りと言ったものがたくさん詰まった言葉は心を育まない。
大人でも、そういう乱暴な物の言い方をされたら、なんだかとってもイヤな気分になりますよね。大人よりも感受性の鋭い時期の子供だったらなおのこと。
綺麗な言葉遣いがきちんと出来なくたって構わない。互いを想う気持ち、尊重する想い、そういったものを根底に持ちながらの言葉が発せられていったらいいなと願っています。
丁寧な言葉、思いやりを持った言葉、愛が根底に流れる言葉、そういうものたちが、子供の心も大人の心も育んでいくのだから。
乱暴な言葉を受けている子供たちに、少しでも、愛にあふれたあったかい言葉が注がれていく機会があるようにと、サラスヴァティに祈りながら。
今日もまた、お読みくださってありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。
〜 今日のいいこと 〜






