HP
アニマルコミュニケーションご案内
アニマルコミュニケーション話あれこれ
アファメーション
編集

グレーな部分

2025/09/23

先回「正しさ」について書き忘れていた部分もあるので、今日はそのあたりを。

「正しさ」はその時々の社会で異なる場合があると先回書きました。

「正しさ」は、不確定なもので流動的なもの。時代でも住んでいる社会でも変わるものだし、個人で言えば、もっと短いスパンで、「今はこれが正しい(と思っている)」というようにその時々でも変わります。それくらい、不確定なものです。

だから何かを判断する時に「正しい」「正しくない」で決めてしまうと、なんだか違うなということもあるのです。

これは「正しさ」だけのことではありません。

「これ」と「あれ」、「いい」と「悪い」など、この世の中のことを何でも2つに分けて考えることは難しいのです。白黒つけないとスッキリしない時には、生きていくことがきついことも多いかもしれません。

なぜなら、グレーの部分がたくさんあるのが、世の中だから。

このブログを読んでくださっている方は、おそらく大人の方々ではないかと思っています。大人って狡い部分も持っているけれど、子どもの頑なな潔癖さから解放されている部分もあります。

「あんなこと絶対に許せない」「不潔!」って思ってしまう子ども時代は、物事の一面しか分からなかったりします。理解力や洞察力、人生経験が少なければ当然です。子どもは学んで成長をしていくものだから。

やがて、様々な経験をして、物事が表面だけのものではなく多様な面を持つことに気づいて、本当の意味での大人になっていきます。

「あんなこと絶対に許せない」と思っていたのが、「確かに許せない所業のようだけど、ああするしかなかったという部分もあるのだろうな」と別の面からの見方も出来るのです。

白黒きっちりと付けられないことは落ち着かないことだけれど、それでも、この世の中には割り切れないグレーの部分がある。曖昧模糊としたものがたくさんある。

グレーの部分ってスッキリしないし、どことなく苦さすら感じるものです。

グレーを知るということは、スッキリしなくて苦みもある感覚をも受け容れて、寄り添うわけではないけれど無視するわけでもない、ただそこに在るものだということだけ知っている、そういうことなのじゃないかと思っています。

なんとも歯切れの悪い文章ですね。でも、これがグレーの部分。グレーゾーン。

なんでもかんでもスッキリと割り切れない座りが悪いもの。そういうものが存在していても、いいじゃありませんか。

極端に思考や感情が走っていく時、ふと、思い出してみてください。

どちらでもあり、どちらでもない、グレーという部分があるってことを。グレーな部分があっていいんだと言うことを。


今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。


このブログを検索