彼女に何もしてあげることができなくて、ただ祈るしかなくて、それが歯がゆくて情けなくて。
そんな時に思い出すのが、ダライ・ラマ法王の本の一節。
以前にも書いていますが、再度、載せます。
600万人のチベット人が、みなダライ・ラマを見ています。
そしてダライ・ラマが苦しみから救ってくれると信じています。
私には、そのうちのただ一人を救うための、
米粒ほどの力もありません。
その無力さを噛みしめながら、毎日生きること。
それが、私の修行です。
(『優しい人になろう』より)法王さまに比べたらちっぽけなものだけど、法王さまと同じように、ただ一人を救うための力は自分にはない。
生き仏と言われるダライ・ラマ法王さまですら、ミラクルな力をお持ちでないのなら、ただの庶民の私にミラクルな力がなくて当たり前。
卑下するわけじゃなくて、それを苦い思いを感じながら噛みしめて、ただ自分に出来ることを、日々行っていくだけ。それが、今、生きている人生の修行なのでしょうね。
ちょくちょく書いていますが、誰か大切な方が苦しみの中でいる時、〈心配〉するのは当然ですが、その〈心配〉は1つのエネルギーなので相手に届きます。
そんなもの届いて欲しくはないエネルギーだから、〈心配〉はひとまず置いておいて〈愛〉を贈りましょう。
弱気になったり、落ち込んだり、めげたり、絶望の淵に立っていたり、本当に、いてもたってもいられないピンチな状況だけど、代わって生きてあげることなどできやしない。
だから、それが情けなくて悲しいけれど、それでも、ただひたすら〈愛〉だけを贈りましょう。
尽きることのない、あふれ出す愛を贈って、その方の心の奥底で休んでいる〈強さ〉が力を得ていけるように、ひたすら〈愛〉を贈りましょう。
そう信じて、ただ祈り続ける。
それしかできない無力さに打ちのめされながら、神じゃなくてただの人なんだから、そういう時、誰もが歯がゆく想っているんだから、それもひっくるめて〈愛〉に変換して贈り続けましょ。
やるせない想い、情けない想い、心配でたまらない想い、それら全部を〈愛〉に変換させて送り届けていきましょ。
大好きだから〈愛〉を贈りましょ。
あの人の中に眠っている、〈強さ〉や〈力〉〈気力〉が湧き上がって支えてくれるように。
ひたすら願いを込めて。
今日もまたお読みくださってありがとうございます。
あなたにいっぱいの愛を☆




