それで読んだのが、相変わらず厚い『数えずの井戸』です。
有名な皿屋敷のお話、京極バージョン。番町とも播州とも言われる皿屋敷ですが、どうしてもおどろおどろしいイメージが先行してしまいがちでした。物悲しいイメージもあるのですが。
どこか妖怪やこの世ならぬモノの仕業にしたいような、そんな想いでした。
でも、読了後、なるほどなぁ、そういう見方もできるんだなと、納得。怪しきモノの所為になどしないで、ヒトの為した事として、彼岸でなくてこちら側の話として落としてくれました。
バラバラになっていた欠片が、だんだんとある特定の形に収まっていく面白さに、読書の醍醐味を感じながら、それってまた別の視点から見たら、生きていくことにも繋がっていくんだろうなとも思ったり。一見したら意味のないことをしているのかもしれないけれど、それがやがて最後の大団円に向けての重要な鍵かもしれない。な〜んて、思ってみたりします。
それにしても、《井戸》って異界へのキーワードなんでしょうか。そもそも《水辺》は異界との接点だったりしますよね。また気になってきました。
今日もまた、お読みいただきましてありがとうございます。
でも、読了後、なるほどなぁ、そういう見方もできるんだなと、納得。怪しきモノの所為になどしないで、ヒトの為した事として、彼岸でなくてこちら側の話として落としてくれました。
バラバラになっていた欠片が、だんだんとある特定の形に収まっていく面白さに、読書の醍醐味を感じながら、それってまた別の視点から見たら、生きていくことにも繋がっていくんだろうなとも思ったり。一見したら意味のないことをしているのかもしれないけれど、それがやがて最後の大団円に向けての重要な鍵かもしれない。な〜んて、思ってみたりします。
それにしても、《井戸》って異界へのキーワードなんでしょうか。そもそも《水辺》は異界との接点だったりしますよね。また気になってきました。
今日もまた、お読みいただきましてありがとうございます。



