
新装版「赤毛のアン」をとても楽しく読みました。
本でも音楽でも、読むとき聴くときの状態や年齢で感じ方ってやっぱり変わってくるんですね。
姿形は年相応(?)になってきますが、心のどこかではいつだって、プリンス・エドワード島に憧れる気持ちが残っています。
今回、また読んでみて感じたのは、マシュウがちびまる子ちゃんの友蔵じいさんに似ているなぁと思ったことです。友蔵さんの方がマシュウよりもずっとおしゃべりだし、(マンガなので)コミカルですが、やっぱり似ていると感じました。
60才過ぎの男性(マシュウ)から見たら、11才の女の子(アン)は孫にも近い感覚なのかな、もしかしたら。
このマシュウがアンをかなり甘やかしています。でも、それは溺愛の甘さとはちょっと違います。ひたすら包み込むような大きな大きな愛情。そうとはっきり口には中々出せないけれど、心の奥では繋がっている豊かな愛。
マリラのアンへの少し厳しさもある態度から比べたら、友蔵じいさんっぽいなと思ってしまいました。
本でも音楽でも、読むとき聴くときの状態や年齢で感じ方ってやっぱり変わってくるんですね。
姿形は年相応(?)になってきますが、心のどこかではいつだって、プリンス・エドワード島に憧れる気持ちが残っています。
今回、また読んでみて感じたのは、マシュウがちびまる子ちゃんの友蔵じいさんに似ているなぁと思ったことです。友蔵さんの方がマシュウよりもずっとおしゃべりだし、(マンガなので)コミカルですが、やっぱり似ていると感じました。
60才過ぎの男性(マシュウ)から見たら、11才の女の子(アン)は孫にも近い感覚なのかな、もしかしたら。
このマシュウがアンをかなり甘やかしています。でも、それは溺愛の甘さとはちょっと違います。ひたすら包み込むような大きな大きな愛情。そうとはっきり口には中々出せないけれど、心の奥では繋がっている豊かな愛。
マリラのアンへの少し厳しさもある態度から比べたら、友蔵じいさんっぽいなと思ってしまいました。
だけど、マリラはマリラで愛に溢れた人物。それを表立って表現することに慣れていないだけの素敵なお母さん。
マシュウのように無償の大きな静かな愛。
マリラの少し不器用な表現の愛。
そんな愛を送られたらとっても幸せだなぁ。今回、そんなことを感じながら、アンの世界にひたっていました。
本を読んでいて、愛に溢れている事をたくさん感じましたが、もう一つ気になったことがありました。
それは年齢のこと。
「赤毛のアン」シリーズの第一作となる本作品中では、11才から16才と半年のアンの成長が描かれています。
アンが13才の誕生日を迎えたとき、腹心の友ダイアナに向かって話していたことの中に「あと二年すれば、あたしはほんとうの大人になるのよ」という言葉がありました。
その言葉通り16才と半年になった頃には大学進学を諦めて、教師となってグリン・ゲイブルズに留まって、目が不自由になってきたマリラを支えていくという人生の大きな決断をしています。
15才、16才。
その頃、私は一体何をしていたのだろうと考えていたら、中学三年の時にパタリロのクックロビン音頭を友人と踊っていたことを思い出しました、、、、、、
アンは小説の登場人物ですが、それ位の年齢で日本でも昔は結婚をしていたし、大人と見なされていた時代もありますよね。
でも現代でも、同じような環境に生きている子供達はいます。
チベットの里子となっていた子達は、余程優秀な子ではない限り中学までしか学校に通えません。その後は、家の仕事の手伝いをしたり結婚をしたり。他の国でも兵士になったり、ホームレスになったり、安い労働力として使われたり。
生まれた国、時代によって、こんなに違うのは、それぞれ個人の学びのためなのかも知れません。
でも子供時代を子供らしく過ごせること、それを願ってしまいます。勝手なのかもしれませんが。
そして、その時は色々悩んだりしていたのでしょうが、アホみたいなことやりながら、子供時代を過ごすことが出来たこと。それがどんなに素晴らしいことだったのか気づくことが出来ました。
今回の読書は、今までとはまた違った物を届けてくれました。時間をおいてまた読んだら、次は何を想うのでしょうか。楽しみです。
お読み下さって、ありがとうございます!
マシュウのように無償の大きな静かな愛。
マリラの少し不器用な表現の愛。
そんな愛を送られたらとっても幸せだなぁ。今回、そんなことを感じながら、アンの世界にひたっていました。
本を読んでいて、愛に溢れている事をたくさん感じましたが、もう一つ気になったことがありました。
それは年齢のこと。
「赤毛のアン」シリーズの第一作となる本作品中では、11才から16才と半年のアンの成長が描かれています。
アンが13才の誕生日を迎えたとき、腹心の友ダイアナに向かって話していたことの中に「あと二年すれば、あたしはほんとうの大人になるのよ」という言葉がありました。
その言葉通り16才と半年になった頃には大学進学を諦めて、教師となってグリン・ゲイブルズに留まって、目が不自由になってきたマリラを支えていくという人生の大きな決断をしています。
15才、16才。
その頃、私は一体何をしていたのだろうと考えていたら、中学三年の時にパタリロのクックロビン音頭を友人と踊っていたことを思い出しました、、、、、、
アンは小説の登場人物ですが、それ位の年齢で日本でも昔は結婚をしていたし、大人と見なされていた時代もありますよね。
でも現代でも、同じような環境に生きている子供達はいます。
チベットの里子となっていた子達は、余程優秀な子ではない限り中学までしか学校に通えません。その後は、家の仕事の手伝いをしたり結婚をしたり。他の国でも兵士になったり、ホームレスになったり、安い労働力として使われたり。
生まれた国、時代によって、こんなに違うのは、それぞれ個人の学びのためなのかも知れません。
でも子供時代を子供らしく過ごせること、それを願ってしまいます。勝手なのかもしれませんが。
そして、その時は色々悩んだりしていたのでしょうが、アホみたいなことやりながら、子供時代を過ごすことが出来たこと。それがどんなに素晴らしいことだったのか気づくことが出来ました。
今回の読書は、今までとはまた違った物を届けてくれました。時間をおいてまた読んだら、次は何を想うのでしょうか。楽しみです。
お読み下さって、ありがとうございます!



